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かみじま郷土話⑪ 悪党弁房承誉と百姓の抵抗

2022年02月01日 曽根 大地

画像は、百姓が東寺に訴えた承誉の非法非例の内容。赤線部:年貢御塩倍増
伊予国弓削島庄領家方百姓等申状(ル函23) 画像は京都府立京都学・歴彩館 東寺百合文書WEBから

 下地中分が成立したことにより、東寺は弓削島荘の鯨方(現在の久司浦地区のあたり)と串方(下弓削地区のあたり)を支配することができるようになりました。実際に荘園を管理していたのは荘官と呼ばれる者であり、雑掌や預所とも呼ばれました。

 正和2年(1313年)になると、百姓たちから悪党と呼ばれる荘官の弁房承誉が現れます。承誉は、塩の年貢を増やしたり、製塩作業に必要な牛を連れ去るなど、数々の非法非例を行いました。百姓たちは東寺に対して、承誉の行いを切実に訴えますが、改められることはありませんでした。

 百姓たちはこのような承誉の行いに抵抗するために、逃散を行いました。農業を放棄して荘園を立ち去り、荘園領主や荘官に一定のダメージを与えることが目的でしたが、承誉は逃散した百姓の家の塩を奪うなど、百姓自身も大きな犠牲を払う必要がありました。
 しかし、百姓自身の生活を懸けた逃散であっても、荘園領主には届かず、承誉の行いは改められませんでした。百姓たちは次の手段として、自分たちの代表である古老百姓3人を上洛させて、東寺領主の面前で預所と裁判による対決を行いました。古老百姓は、承誉の数々の非法を訴え、その解任を強く要求し、預所はついに承誉の更迭に同意しました。

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