上島Stories

Kamijima stories

子どもの時代

2015年06月29日 有馬 啓介

とんどで喜ぶ子どもたち(昭和30年頃) 生名村写真史編集委員会『ふるさとの想い出 生名島』昭和62年 から

 昔から日本では、「数え年で7つまでは神のうち」とされました。これは、現代に比べて医療・衛生面で恵まれなかった時代、命が不安定な状態であった乳幼児を表した言葉です。神に近いことから、聖なる存在として大切にされ、七五三のお祝いでは、子どもが無事に成長したことに感謝し、これからの健康を祈願しました。幼児期を過ぎてから15歳前後までの間、子どもは一人前の人間として生きていくための能力や感受性を身に着け、大人の仲間入りをしていきます。上島町内の中学校で行われている『少年式』は、かつての元服に由来しています。

 明治時代となり、日本が近代国家として歩み始めて以降、子どもの教育は、学校に期待されることが多くなりました。一方、生活や労働の中での教育や地域(共同体)社会での教育も大きな役割を担ってきました。地域での行事は、子どもにとっての成長の場でもあります。『とんど』、『十七夜』、『天神さん』、『地蔵盆』、『くんち』、『秋祭り』、『亥の子さん』…。子どもひとりひとりに役割があり、そこで地域で生きることを学びました。

 民俗学者の宮本常一は、「日本人にとっての未来は子供であった。自らの志がおこなえなければ、子供にこれを具現してもらおうとする意欲があった。子供たちにも、またけなげな心構えと努力があった。」(宮本常一『日本の子供たち』岩崎書店、昭和32年)と語っています。子どもは地域の宝であり、いつの時代も生き生きと育ってほしいものです。

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