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Kamijima stories

かみじま郷土話③ 瀬戸内海の中央に浮かぶ魚島

2020年10月01日 曽根 大地

大木遺跡がある大木海岸

亀居八幡神社の宝篋印塔

 車も電車も無い時代、船を使って畿内にアクセスできる瀬戸内海は、昔から交通の要として機能していました。芸予諸島の島々は、瀬戸内海を航行する船人にとって重要な寄港地であり、様々な人や物が集まる場所として発展しました。魚島で見つかったものや遺されたものを見るとその様子がよくわかります。

 魚島の大木海岸には、大木遺跡という古墳時代の遺跡があります。遺跡からは、製塩土器・石製模造品・小型青銅鏡・剣形鉄製品や鉄鋌(てってい)などの豊富な遺物が採取されています。これらに共通した遺物が見つかった遺跡としては、今治市大島にある火内遺跡や松前町の出作遺跡があり、どちらも祭祀遺跡としての性格を持つ遺跡であると考えられています。大木遺跡においても、航海安全を願い、神事などが行われていたのかもしれません。

 また、亀居八幡神社にある宝篋印塔は、南北朝時代の武将である篠塚伊賀守のお墓であると伝わっていたもので、島の人々によって大切に保存されてきました。鎌倉時代末期の特徴を持つ大変貴重な文化財であるため、国指定重要文化財に指定されています。

 このように、魚島には長い歴史の中で古く貴重なものがたくさん遺されています。瀬戸内海を航海し、大自然を相手に生きた昔の人々にとって、瀬戸内海の中央に浮かぶ魚島は、心身ともに安らげる大切な場所となっていたのかもしれません。

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