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上島の遺跡⑧ 縄文土器の発見

2018年08月01日 有馬 啓介

岩城島の小漕遺跡から出土した縄文土器

 東京にある大森貝塚は、日本考古学・人類学発祥の地と呼ばれています。明治 10(1877)年に米国の動物学者である E.S. モース博士による発掘調査がここで行われました。これは、日本初の学術的な発掘調査で、縄文時代後期・晩期の貴重な一括資料が発見されました。その成果は、明治 12(1879)年 に 東 京 大 学 の 紀 要 の 中 で“Shell Mounds ofOmori”という題名で発表されました。報告書の中で、モース博士は、縄目紋様のある土器を「cordmarked pottery」と総称しました。その後、縄文土器の呼称が広まりました。現在、縄文土器と呼ばれる土器の表面には、縄による紋様のほかに、貝殻や爪、木の棒や竹のようなものによる紋様も見られることがあります。

 世界で最も古い土器のひとつである縄文土器ですが、その誕生には地球温暖化による人々の食生活の変化が大きく関係しています。暖かくなった土地には、木の実が実る落葉広葉樹の森が生まれ、ナウマンゾウやヤベオオツノジカなどの大型哺乳類が徐々に姿を消しました。木の実のアク抜きや保存のために土器が発明されたようです。

 昭和 30 年代の後半から 40 年代の中頃にかけて、岩城島の小漕地区や長江地区、船越地区で相次いで縄文時代の遺跡が発見されました。農業用井戸や溜池等を掘削中に縄文土器が偶然発見されたのです。主に今から約 4,000 年前から 3,000 年前にかけての縄文時代後期の所産である縄文土器が確認されました。岩城島は、旧越智郡島嶼部における縄文時代遺跡発見の先駆地として研究者の注目を集めました。

 生名島の稲浦地区でも、井戸の掘削中に縄文土器が出土しました。これは、今から約 9,500 年前に始まった縄文時代早期の所産である押型文土器と呼ばれる深鉢片です。

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