上島Stories

Kamijima stories

上島の遺跡① 15年前の調査でのこと

2017年05月26日 有馬 啓介

船上から望む芸予諸島の島々と四国山地

 今から15 年前の夏の終わりの出来事です。私は、山口県柳井市にある中院遺跡での発掘調査に携わっていました。柳井市は、白壁の町並みと金魚ちょうちんで有名な町です。その頃は、仕事が終わると、自動車に乗って瀬戸内海の屋代島(周防大島)によく遊びに行ったものです。屋代島から防予諸島を東へ向かうと、やがて松山平野に至ります。

 中院遺跡では、弥生時代後期前半(今から約1,900 年前)の竪穴住居から分銅形土製品と呼ばれる瀬戸内地域特有の集落内祭祀具が出土しました(西尾健司編『中院遺跡』山口県埋蔵文化財センター・柳井市教育委員会 平成15 年)。その遺物が出土したときの感動を昨日のことように思い出します。

 分銅形土製品は、その形が天秤で物の重さを量るために使用する分銅に似ていることから、この名で呼ばれています。中院遺跡の分銅形土製品の上面部には、顔面表現が見られます。粘土帯を貼り付けることで鼻と眉を表現しています。これは、瀬戸内海に面した山口県東南部及び松山平野周辺で多く出土している分銅形土製品の特徴です。また、中院遺跡では、脚部に矢羽根文様をもつ高杯が見られ、これも伊予地域との交流を示すものです。瀬戸内海を介して人と物の往来が活発であったようです。時代が異なっても、瀬戸内海は人の移動や文化交流において重要な役割を果たしてきました。

 それでは、瀬戸内海のほぼ中央に位置する上島町では、どのような文化が育まれ、その歴史を刻んできたのでしょうか。これから上島町にある遺跡について少しずつお話をさせていただきます。

中院遺跡出土の分銅形土製品(1)と高杯(2)
報告書掲載図を基に作成

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