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上島の遺跡⑮ 揚浜式製塩の時代

2019年10月01日

高浜八幡神社境内で検出された浜床

 佐島の宮ノ浦遺跡では、古墳時代前期(3世紀頃)に脚台式製塩土器と呼ばれるブランデーグラスに似た形の土器を使用した土器製塩が盛んに行われていました。平安時代後期(11世紀頃)になると、塩の需要が増大し、塩田による製塩法が生まれました。

 揚浜式製塩では、人力で海水を汲みあげて塩田に海水をまき、太陽熱と風によって水分を蒸発させます。その後、塩分の付着した砂を沼井に集め、それに海水をかけて、鹹水(濃い塩水)を得ます。

 現在、上島町では「世界の記憶」(ユネスコ記憶遺産)に登録された国宝の『東寺百合文書』に記録されている「塩の荘園」弓削島荘の実態を明らかにするために、7つの分野で構成される総合的な調査を実施しています。埋蔵文化財調査では、中世に弓削島の海浜に存在した塩浜(塩田)の調査を実施しています。

 上弓削地区の高浜八幡神社境内では、平成30年の夏に発掘調査を実施しました。『東寺百合文書』の中の応長元(1311)年に書かれた「伊予国弓削島庄田畠山林塩浜以下相分帳」によると、「八幡宮」に塩浜が存在したことが分かります。現在の護岸から陸地側へ40mほど離れた地点で調査を実施し、地表から約80㎝の深さで黒褐色の硬化面を検出し、その広がりを確認しました。硬化面は、塩浜の粘土地盤である浜床の可能性が高く、これと海水面との高低差から揚浜式塩田のものであると推定されます。出土した遺物のみならず、炭化材及び貝殻の放射性炭素年代測定からも弓削島荘の時代に現在の高浜八幡神社境内に塩浜が形成されていたと考えられます。

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